「xやyなど使うことがないので、数学は生きていく上で必要のない科目だ」という意見がある。
間違いではないが、かといって、それだけで、「数学が必要か否か」の結論を導くには不十分だといえる。
そもそも、将来数学を使わないと決めつけるのは必ずしも正しいとはいえない。今私は、塾で数学を教える仕事をしているが、学生の頃、まさかこれを職業にするとは夢にも思わなかった。なんと言っても数学が苦手な科目の一つだったからだ。
20年前の誰が、携帯電話が、誰もが使うツールになると考えただろうか。私なんか、携帯電話を使い始めた頃、みんなにバカにされたものだ。「そんなもの何に使うんだ」と。
5年ほど前にはある国の芸能スターが、軒並み日本で人気者となったが、そのとき、5年後にこんなに、その国のことを好きになれない日本人が増えると誰が考えただろうか、
10年後のことなんて、ほとんどの人の予想は外れてしまうのだ。
もしかすると、あなたが、将来、家電メーカーの商品開発部に就職しているかもしれない。50年ほど前に生まれた一般人であるところのわれわれ団塊ジュニアの世代の人間の誰が、子供の頃に、将来、食品入れが冷蔵庫となり、箒やちりとりが掃除機となり、電話がスマホとなり、このような生活必需品にまで、科学技術計算にしか使われないと信じていたコンピュータープログラムが、使われるものになると、考えただろうか。
数学的思考が全く出来ずして、プログラムをある程度でも理解することは難しく、プログラムを理解せずに、現在の最新家電の企画をすることが、本当の意味で出来るのだろうか。
つまり、そもそも、本当にあなたが数学を将来必要としないなんて決めつけられないのだ。
それだけではない。大人として、論理思考が出来るかどうかはその人の人生も、周りの人にとっても重大な問題である。
たとえば、3歳ぐらいまでの、数値を理解していない段階で、5個の100円玉を2cmずつ離して並べたものと、3cmずつ離して並べたものを見せて、どっちが多いか尋ねると、3cmずつ離して並べたものが多いと答える。数が理解できることは、論理思考が出来ることの入り口だ。
この2つの500円が、同じ価値であることを理解できるかどうかが、その人の人生や、その周りの人々とのコミュニケーションに影響することは想像に難くない。
数を理解しておいた方がいいことは、わかっている人には当たり前のことでも、わかっていない本人にとっては、わからないこのなのだ。だから、本人が理解できないから勉強しなくていいという考えは絶対によくない。
ここまで読んでいただいたら、数学を学習することで、論理思考力の一部をつけることが出来、本人の自覚とは関係なく、それは、
本人の人生や周りとのコミュニケーションのために役に立つ。ということがわかるのではないだろうか。
たとえば、旅行の計画一つたてるにしても、道順や、経路、効率や、価値、費用など、論理思考を必要とする事柄満載だ。
小中学校で、数学を勉強することは、論理思考を鍛え、高めるために絶対必要なのだ。
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