今日、授業終了時に、生徒はテスト対策のプリントを受け取ったものから帰ることになった。そして、私が、複写機で複写しているところへ、数名の生徒がプリントを受け取りに来た。
プリントを受け取ったら、すぐに帰れるわけだからみんなが早く受け取って帰りたい状況だ。真っ先にプリントを取りに来た元気な男の子が、プリントを受け取った。すると、その男の子は、後ろに並んでいる女子生徒を見て、はい、とそれをわたしたのだ。もちろん、その女子生徒は、「ありがとう」と礼を言い、帰って行った。
次々複写されてくるプリントを、出てくる度にはじめの男の子に渡したが、彼は並んでいた生徒みんなに渡るまでそれを1枚1枚渡していった。
このことにより、渡された子供は得した気持ちになり、渡した子供は感謝され、何よりも、コミュニケーションが生まれた。
この様子を見ていた私はすかさず、「なかなかやるなぁ」と声をかけた。そして、男子生徒はにこにこと照れ笑いをしながら素直に喜ぶ様子を見せた。きっとこの男の子はこれからも、こうした行動をとっていくことになるだろう。
このように「褒める」ことが子供に教育的指導を与えるようになるといえる。しかし、事の本質は違う。私のこの行為は単に「褒めた」のではなく、男子生徒の行為を「認めた」上で、「私が」感心し、喜んだのである。つまり、「認める」「自分の思いを言葉にした」が本質である。
例を挙げよう。いつもクラスでトップの点数をとる生徒がいたとして、いつも、最下位争いをしている生徒がいたとする。いつものように、トップの生徒が満点を取ったとする。そして、最下位争いの生徒が、トップの生徒に、「おまえはかしこいからな」と言ったとする。つまり、「褒めた」わけだ。しかし、この褒め言葉は、トップの生徒には果たしてプラスの言葉として響くだろうか。「おまえかしこいよな、今度勉強教えてくれよな」と言った場合と比べてみよう。
最近、大きな被害を伴う大型船の事故があったが、その船を運用している会社のマネジメントは安全面においてひどいものであったことが報道されている。「だけど、たいへん会社は儲かっていますよね。」「そのおかげで国の経済はプラスに働いていますよね。」と褒めたとしたらどうだろう。
「褒める」ということが、教育的指導で重要なキーワードになることはその通りだが、本質はもっと別のところにあるのだ。
こうした本質を、運良く学ぶ機会があった。かつて、私教育の業界に、教育コーチングというものを奨励した人物がいる。現在では当たり前となった、「個別指導」の事業化におそらく初めて成し遂げた久保田邦義氏だ。彼の下に数年いたことがある。当時、教育コーチングという言葉すらなかった。コーチングはアメリカを中心とする欧米の会社内の人材教育の手段として、確立され始めていた。久保田氏は、これを教育的指導に応用することを考え、業界に訴えた。教育コーチングというネーミングも私の認識では彼が名付けたものであると思う。
現場にいた私自身が、理解できずにいたこの、「教育コーチング」は、業界でも当初は本格的に受け入れられることはなかった。しかし、佐々木喜一氏が久保田氏の話に耳を傾けた。佐々木氏と久保田氏の会談に何度か同席したこともある。そして、現在佐々木氏が率いる成基コミュニティーの教育の柱の一つとなっている。
話はそれたが、こうした、知られない人々の努力と功績があって、教育コーチングは育ってきた。
「褒める」にこだわるのでなく、指導者は、「I・アイ」が主語となるメッセージを伝えるようにしよう。これが、教育コーチングで言うところの「アイ・メッセージ」だ。
「おまえは頑張ったね」は「おまえが頑張って私はうれしい」とした方が効果的なのだ。また、けなすにしても、
「おまえがちゃんとしない」ではなく「おまえがちゃんとしたら素敵だと思う」とした方が効果的なのだ。
文字通り「褒める」だけではない、プロとしての奥深いところを更に追求していきたいと思う。
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育志館加茂スクール
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