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難しい文章

みなさんこんにちは。大学受験科の谷です。

 

お盆休みが終わり、生徒たちが自習室でお昼から夜まで一生懸命に

 

勉強している姿に頼もしさを感じています。

 

この調子で受験に向けてペースアップしてほしいところです。

 

さて、今週も私の愛読している本を紹介したいと思います。

 

それは、橋本治著『これで古典がよくわかる』です。

 

 

 

 

著者の橋本治先生は、6月25日のブログでも紹介した通り枕草子・源氏物語・平家物語

 

などの古典文学の現代語訳や評論など、幅広い分野にわたって執筆をされた作家です。

 

この本は、どうして古典を学ばなければならないのかを中高生でも読めるように

 

平易な言葉で説明されています。しかし、国語全体についてもどうして学ばなければ

 

ならないのか橋本先生はこのように仰っています。

 

 

「国語」は、やがて「現代国語」と「古典」にわかれて、「古典」の方は「わかりにくい」

 

と言われて生徒に嫌われてしまう――そういう傾向があります。生徒たちは、

 

「古典はむずかしくてわからない」と言います。でも、そんな生徒たちに、「現代国語」の方は

 

「よくわかる」んでしょうか?  現代国語の教科書に載っている文章は、古典のように

 

「なにが書いてあるかわからない」という文章ではありません。読めばわかります。

 

そしてそうなれば、生徒たちは、「読んでわかるようなものをなんで勉強させられる?」と思います。

 

昔の私がそうでした。「読んでわかるようなものをなんで勉強しなきゃいけないんだ?」と思った子供たちは、

 

そんなものを真剣になって勉強しようなんて思わなくなります。(中略)昔の日本人にとって、教育とは、

 

「ちゃんとした文章を書けるようになること」でした。国語の授業が「文章を読む」に偏っているのは、

 

「ちゃんとした文章を書くためには、その参考になる文章を知っていなければならない」

 

ということがあるからでしょう。そして、文章というのは、昔は「むずかしいもの」と相場が

 

決まっていました。「むずかしくなけりゃ文章じゃない」というへんな考え方が生まれて、その偏向は、

 

第二次世界大戦以後の「民主化」の風潮の中ですこし見直されました。見直されたのはいいのですが、

 

極端から極端に走るという日本人の悪いくせがあらわれて、そのうちに、

 

「文章というものはわかりやすいものほどいい」になってしまいました。

 

その結果、今の現代国語の教科書は、「わかりやすい文章を書くためにわかりやすい文章を読む」

 

のオンパレードです。「わかりにくい文章」より「わかりやすい文章」がいいのはもちろんです。

 

でも、そうなったとき問題になるのは、その文章を書いたり読んだりする、人間の〝中身〟なのです。

 

(中略)人間というのは、そんなに単純なものじゃありません。けっこう複雑なものです。

 

その複雑な中身を持った人間が自分のことを書くんだとしたら、そうそういつも「わかりやすくかんたんに」

 

というわけにはいきません。複雑で、そんなにわかりやすくもない内容を書くんだったら、

 

文章の方だってそれに合わせて、「複雑でわかりやすくない文章」になります。「わかりやすいもの」

 

の方がいいにはきまっていますが、そうそうなんでもわかりやすくすることなんてできないのです。

 

 

なかなか興味深い内容ですよね。わかりやすいい文章がいいに決まっていますが複雑な内容は

 

自ずと複雑で難解な文章になります。古文でも、難解な現代の文章でも、書かれている内容を

 

理解できるようになるためには、日ごろからそういう文章に慣れておかなければなりません。

 

受験生の皆さんも難解な文章に出会ったらわからないから出来ないではなく、ここには、

 

とても高度な内容が書かれていると、覚悟を決めてチャレンジしてみてくださいね。

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