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言語学+地理学=言語地理学
育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。
一見関係なさそうな学問が結び付いて新しい学問が生まれるのは、とても気持ちのいい体験です。
というわけで、今回も語族に関するお話。
インド・ヨーロッパ語族が中央アジアのステップ地域から始まり、その後インドとヨーロッパ方面に広がったという話はこれまでにしました。
今回はこの現象を地理学の観点から眺めてみましょう。
インド・ヨーロッパ語族の歴史は分からないことだらけで、まだほとんどが仮説なのですが、上記の中央アジアからヨーロッパとインドへ広がった説が正しいなら、インド・ヨーロッパ語族は西と南へ進出したが、北と東へは広がらなかったことになります。
それどころか、現在の中央アジアではテュルク語族の言語が主流になっています。
なぜそんなことになったのか、実は気候の観点から仮説を立てることができます。
インド・ヨーロッパ語族が中央アジアから出たのは紀元前3000年頃と推定されていますが、ちょうどその頃北半球はネオグラシエーションという寒冷期でした。
つまり気温が急激に下がったことで中央アジアが住みにくくなり、暖かい地域を求めて人々がイランやインドへと南下したのではないかと考えられるのです。
そういう理由なら、元々ヨーロッパは北大西洋海流の影響で同緯度のなかではかなり温暖な地域ですから、南だけでなく西へも移動したことにも納得ができます。
実際に等温線とインド・ヨーロッパ語族の分布を地図上で重ねてみると見事に一致するんです。
そう考えると、北や東へ移動するメリットは少ない訳ですから、現在の中央アジア以北や東アジアにインド・ヨーロッパ語族の言語がないのもうなずけます。
ちなみにインド・ヨーロッパ語族の東端はトカラ語・亀茲語といったウイグル地方でかつて使われた言語で、一説には月氏がトカラ語系という話もあります。
全く東進しなかったわけではなく、東アジア史においてもとても重要な要素になっているのですね。
ここまでの話は学会でも意見が分かれている話ばかりで、ほとんどが仮説です。
そもそも歴史と気候を結びつける考え方が妥当かどうかにも様々な見解があります。
とはいえ、面白い話題ではありますよね。
異なる学問を結び付けて新しい視点を発見するのは、高等教育を受けた人だけに許される娯楽だといえるでしょう。
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