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有名ではないけど重要な人「モール」
育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。
今日、2022年3月22日は、オットマール・フォン・モールの没後100年にあたる日です。
と言っても誰のことか分かりませんよね。
今回は日本にとって重要だけどもあまり知られていない、モールという人物についてご紹介したいと思います。
名前に「フォン」が付いていることからわかるように、彼はドイツ帝国の貴族階級出身です。
普仏戦争の影響を受けて外交官となり、その後約50年に渡って外交官として世界中を飛び回りました。
中でも、1887年から2年間お雇い外国人として来日したことが、日本に大きな影響を与えました。
実はその前の1873年に、皇后の枢密顧問秘書を務めたことで宮中の作法に詳しくなり、それが青木周蔵の目に留まって日本に招聘されたのです。
父親が著名な法学者で日本でも良く知られていたことも影響したのでしょう。
こうしてモールは宮内省の顧問として、日本の宮中について助言をする仕事に就いたのです。
彼の仕事は主に、ヨーロッパの宮中の行事や慣習などを翻訳することでした。
特に服喪や勲章についての規定は日本の制度に大きな影響を与えました。
さらに王族に関する法体系や財産権についてなど、様々な助言を宮内省に与えました。
それだけではありません。
モールの仕事はさらに具体的な物にまで及びます。
例えば当時は宮中の給仕の仕事ぶりがあまり良くなかったらしく、モールは週2回の給仕訓練を実施することにしました。
最初はなかなか成果が上がらなかったようで、この訓練にはモール自身もかなり力を入れていたようです。
日本とヨーロッパの王室の違いについて、モールは多くの事を書き残していますが、特に面白いのが、国王と王妃の関係です。
ヨーロッパでは国王と王妃は基本的に対等で、待遇にもあまり差を付けません。
それに対し、日本では天皇と皇后が対等というのはありえないことです。
それがモールの助言によって、天皇皇后が同じ馬車に乗るようになりました。
これは日本の皇室では歴史的な改革と言えます。
また、当時の天皇をはじめ皇族は皆、基本的に宮中に籠って表には出ないものでした。
人々と個人的に声を交わすのは良くないとされていたのです。
しかしモールの助言によって、天皇は外交官1人1人に声を掛けるなど社交的な行動をとるようになりました。
さらに皇后以下皇室の女性たちも医療や教育事業に積極的に関わるようになりました。
これらはヨーロッパの王室の習慣を取り入れたものです。
今では当たり前ですが、皇族が親しげに人々に声を掛けるのは、実はモールの改革が始まりだったのです。
一方でモールは日本の急進的な西洋化に釘を刺しました。
特に宮中行事に和装を残すかどうかについて、伊藤博文と対立します。
モールは民族衣装もその国の伝統を体現するものとして取り入れるべきと主張しましたが、伊藤は西洋の装束でないと列強と対等に見られないと考え反対したそうです。
モールは日本の美術に深い感銘を受けていたようで、日本の伝統的な文化を守りたいという想いもあったようです。
他にもここでは書ききれないほど、モールの改革は多岐に渡りました。
たった2年という短期間ではありますが、日本の皇室にとても大きな影響を与えて帰国したのです。
決して有名ではありませんが、とても重要な人物なのです。
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