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世界を変えた化学合成

育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。

 

今回は世界史を大きく変えた化学をご紹介します。

化学ではハーバー・ボッシュ法を習いますよね。

この歴史的意義をご存知でしょうか。

 

ハーバー・ボッシュ法は空気中の窒素を利用して工業的にアンモニアを合成する方法です。

実験に成功したのがハーバー、実用化に成功したのがボッシュです。

その功績から、ハーバーは1918年に、ボッシュは1931年にノーベル化学賞を受賞しています。

なぜ大量のアンモニアが必要なのかというと、作物を育てるための肥料になるからです。

ハーバー・ボッシュ法によって作られる硫酸アンモニウムは、世界で初めての化学肥料として世界中の農作物の生産量を飛躍的に伸ばしました。

 

さて、ボッシュによるアンモニアの合成工場が本格的に稼働しだしたのが1913年頃のことです。そしてその翌年、サラエヴォ事件が発生しました。

ボッシュの工場で生産された化学肥料は、ドイツ国内の農業生産力を大幅に拡大させ、協商側の経済制裁にも耐えられる食料自給率を達成させました。

さらにボッシュはアンモニアから硝酸を大量に生産できるようにし、火薬を作るのに硝石を輸入する必要がなくなりました。それにより協商側の硝石の禁輸も無意味になったのです。

 

ハーバー・ボッシュ法は第一次大戦におけるドイツにとって大きなバックアップとなったのです。結果ドイツは敗戦しましたが、ハーバー・ボッシュ法の開発があと10年遅れていたら、戦争の中身は大きく変わっていたかもしれません。

 

ちなみに第一次大戦が始まるとハーバーはドイツ軍のために毒ガスの開発に携わります。

1918年にノーベル賞を受賞したときにはそのことで世界中から大きな批判を受けました。

さらにナチスが政権をとってからは、ハーバーはユダヤ人であるためにドイツ国内にも居場所がなくなり、1934年パレスチナに向かう途上で亡くなりました。

 

ボッシュは第一次大戦後もドイツ産業界の重鎮として活躍を続け、ナチス政権にも協力しながら事業を拡大させていきました。

しかしナチスのユダヤ人政策をめぐっては対立していたようです。

ハーバーの葬儀には、ナチスからの圧力がかかっていたにもかかわらず出席しました。

第二次大戦が始まると、ボッシュは第一線を退いていましたが、彼の工場で作られた大量の弾薬が戦場で使われました。

それにより精神を病んだボッシュは1940年、ドイツの破滅を予言して亡くなったと言われています。

 

ハーバー、ボッシュの2名はそれぞれ失意のうちに亡くなったわけですが、ハーバー・ボッシュ法は今も生き続けています。

第一次大戦後に情報が公開され、ハーバー・ボッシュ法を基にした化学肥料の合成が世界中で始まります。

それは第二次大戦後の緑の革命を支え、特に途上国の人口増加と所得向上に寄与することになります。

緑の革命にも功罪ありますが、いずれにせよ化学が世界に大きな影響を与えた例として、ハーバー・ボッシュ法は顕著と言えるでしょう。

 

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