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教科書から消えた国

育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。

 

教科書に書かれている内容はどんどん変化していくものです。

今回は世界史の教科書から存在自体が消えてしまった国をご紹介します。

 

フビライ・ハーンが元を建国したころ、中央アジアから東アジアにかけてチンギス・ハンの子孫が作ったいわゆるハン国がありました。

私が高校生の頃はキプチャク・ハン国、イル・ハン国、チャガタイ・ハン国、オゴタイ・ハン国の4ハン国と習ったのですが、今の教科書ではほとんどがオゴタイ・ハン国を除く3ハン国として記述しています。

オゴタイ・ハン国はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 

モンゴル帝国の歴史は本当に分からないことだらけです。そもそもモンゴル民族には文字で歴史を遺す文化がありませんでした。そのため当時の状況を知るには、周辺国の歴史書の記述に頼るしかないのです。モンゴルの歴史はほとんどが謎。毎年のように歴史的事実が書き替えられているのです。

 

特にハン国のイメージはこの数年で大きく変わりました。というより、ハン国という言い方は今の歴史学会では一般的ではなく、代わりにグユクという言葉を使います。

モンゴル民族は遊牧民族です。一定の人数の集団を引き連れて各地を転々とする文化を持っています。そのためモンゴル民族にとっての国家は人々の集団のことであって、土地と結びつくものではありませんでした。このようなイメージの「国家」をグユクといいます。

 

オゴタイ・グユクはチンギス・ハンの治世に成立しました。ホラズムとの戦いで功績をあげたオゴタイに、まとまった人民と軍隊を分け与えたのがオゴタイ・グユクの始まりです。これは独立国を作ったわけではなく、大モンゴル国(イェケ・モンゴル・ウルク)という大きなグユクの下部組織としてできたものです。

その後チンギス・ハンが死に、オゴタイがイェケ・モンゴル・ウルクの長になります。この時オゴタイは称号をハーンに改めました。イェケ・モンゴル・ウルクの長がハーン、その下部組織のウルクの長がハンと区別したのです。

 

そしてオゴタイ・ハーンの死後ハーンの座を争ってチンギスの子孫たちの間で争いが起きます。その過程でオゴタイ・ウルクはハンのいないウルクになってしまいました。チンギス・ハン遺訓により、例えハーンであってもウルクの解体は認められません。そこでモンケ・ハーンらはオゴタイ・ウルクの力を削ぐためオゴタイ・ウルクの下部のウルクをハーン自ら任命することで、オゴタイ・ハン国をハンのいない名目だけのグユクにしたのです。

 

つまりオゴタイ・ハン国は元の服属国というイメージではなく、名目だけの実態のない組織というイメージに変わりました。それを受けて今の世界史の教科書では記述しない流れになっているのです。

 

国家のイメージも民族や文化・時代によって大きく違います。それを踏まえていないと世界史全体のイメージも狂ってしまうので注意が必要です。

 

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