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桜はなぜ「始まりの季節」に咲くのか
育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。
4月になり、新しい学年がスタートしました。
ウィンゲートでも今月からカリキュラムを一新し、生徒たちがより成長しやすい体制を整えています。
ところで、なぜ日本では4月に新学年が始まるのでしょうか。
欧米や中国では9月頃に新学年が始まる事が多いですよね。
今回は日本の年度についてお話していきます。
日本で学年が4月に変わるのは、国や自治体の会計年度が4月に改まるからです。
国によっては会計年度と学年の年度がずれることも珍しくないのですが、日本では揃えることが多いようですね。
では国の会計年度が4月から始まるのは何故でしょうか。
明治初期のまだ予算制度が安定していなかったころ、会計年度は予算を作るごとに定められていました。
そのため、必ずしも会計期間が1年とは限らなかったのです。
会計年度が明確に定められたのは1875年。
このときは大隈重信の主導で、7〜6月を1期とする会計年度が導入されました。
これは1873年から始まった地租改正に伴う処置です。
地租改正以前、農家は米を収穫出来次第、年貢として納税していました。
一方地租を導入した狙いは、これまでの年貢という現物納から金納に改めるところにありました。
現物納だと米の収穫量や米価の変動によって歳入が大きく変わるため、なかなか予算が組めないからです。
金納の場合、農家は9月ごろに米を収穫し、それを売却してから納税する必要があります。
そのため地租改正では、収穫後に売却のための期間を設けて、1、3、5月の3回に分けて納税する仕組みにしました。
つまり地租の納税が完了するのが5月ということになります。
納税に関する事務が一通り完了するころに合わせて会計期間を定めたために、6月締めということにしたのです。
会計年度が4月に変更になったのは1886年です。
このときの改革を主導したのは、松方正義です。
1881年に明治14年の政変で大隈が失脚すると、松方が大蔵省の実権を握り、大隈財政とは真逆のデフレ政策をとるようになりました。
そんな中、1882年には朝鮮で壬午事変が起こり、結果清の影響力が朝鮮半島で非常に大きくなります。
これに危機感を覚えた日本は海軍増強の必要性に迫られたのです。
とはいえ、西南戦争の借入金をようやく返したばかりの日本に予算の余裕はありません。
そこで松方は酒税と煙草税を増税することで乗り切ろうとします。
ところが、増税によって酒と煙草は売り上げが激減し、むしろ減収になってしまいます。
このような状況で7月に会計年度を始めるデメリットが目立ち始めます。
当時田の地租の納期は12、3月の2期に改められていました。
さらに松方があてにした酒税は4、7、9月が納期です。
7月から会計年度を始めると、地租の納付が5ヶ月間ない状態で予算を執行しなければなりません。
大隈財政の頃や今の紙幣制度ではこのことは問題になりません。
紙幣が非兌換なので、ある程度歳入を予想して紙幣を発行することができるからです。
しかし松方財政では兌換紙幣にこだわりました。
そのため実際に準備金が存在しないと紙幣が発行できないのです。
つまり予算を立てても執行のための紙幣がない状態が続くことになります。
そこで松方は田の地租の納期を1、4月に変更したうえで、会計年度を4月からに変更します。
こうすることで地租の最後の納付と酒税の最初の納付分を、新年度予算の当初から使うことができるのです。
もちろんこれは他の年度に使うはずの税を単にシフトさせただけにすぎません。
しかし、今すぐ軍備増強に予算を使いたい。たったの数か月も待つことができない。という当時の切迫した事情に対応するための奇策だったと言えます。
桜が咲くころに新学年が始まるのは、実は松方正義たち大蔵官僚の苦悩の結果だったのです。
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