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科学の子「ケルヴィン」

育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。

 

今回は温度の単位についてお話していきましょう。

これまでお話してきた、重さ、長さ、時間、の3つは古くから数値で表す習慣がありました。

重さは物々交換で、長さは測量で、時間は暦で必要になるので、自然と数値で表す動機付けがあったのでしょう。

それに対して温度を数値で表すのはかなり遅れます。

 

古代から中世にかけてヨーロッパやイスラム世界の科学は、アリストテレスの世界観に支配されていました。

そこでは物質の状態を、熱さと冷たさ、湿りと乾き、という四つの性質の組み合わせで説明していました。

例えば液体である水は、「冷・湿」の2つの性質を持っているわけです。

ここではどの程度冷たいかという度合いについてはあまり意識をしていませんでした。

このような見方を定性的と言います。

それに対して現代のような熱さの度合いに注目した定量的な見方はいつ頃できたのでしょうか。

 

温度を定量的に測ったのは、16〜17世紀のガリレオ・ガリレイが最初と言われています。

彼は温度に限らず様々なものを定量的に捉えることをした最初の人物で、科学はガリレイ前とガリレイ後に分かれるといってもよいほど偉大な人です。

彼が発明した温度計は気体の体積が温度に依存することを利用した物で、これによって人類ははじめて気温を量として捉えることができたと言えます。

さらにガリレイとも親交のあったジョバンニ・フランチェスコ・サグレドによって、この温度計に目盛りが付けられます。

この時の定義は、夏の最高気温が360度、雪と塩を混ぜた温度が0度というものでした。

 

それから温度計は何度も改良が加えられ、1714年にガブリエル・ファーレンハイトが水銀温度計を発明すると、1724年には人間の体温を100度、氷水に塩を混ぜた温度を0度とする華氏度を考案しました。

さらに1742年にはアンデルス・セルシウスが、水の沸点を100度、融点を0度とする摂氏度を考案しています。

17〜18世紀にかけて温度の目盛りの付け方には他にもいろいろな案が提唱されました。

このブログでおなじみの、ロバート・フックやアイザック・ニュートンも独自の案を考えましたが、結局定着したのは華氏度と摂氏度の二つでした。

ちなみに日本で初めて温度計を作ったのは平賀源内ですが、そこには華氏度の目盛りがついていたそうです。

 

このように熱さを数値で表すことになったわけですが、この時はまだ熱さの正体について今とは大きく異なる解釈をしていました。

物体が熱いというのは、その物体にカロリック(熱素)という物質が多く含まれているからだとする考え方が主流だったのです。

これをカロリック説と言います。

 

この状況はジェームズ・プレスコット・ジュールの登場によって大きく変わります。

彼は1843年に、熱と運動が相互に変換可能な物であることを実験で示しました。

つまり熱と運動はどちらも等価なエネルギーという概念で説明できるというのです。

これによってカロリック説は否定され、熱の正体は物質の運動であるとする熱運動説が定説となったのです。

そしてジュールとの共同研究でも有名なケルヴィン卿ウィリアム・トムソンが、気体の熱エネルギーがゼロの状態を0度とし、1度の幅を摂氏度と同じとするケルヴィン(K)という単位を考案しました。

これを熱力学温度と言います。

 

今ではこのケルヴィンが温度を表す基本単位とされています。

前回まで見てきた、長さ・重さ・時間の概念は古代と現代でそう大きく違いはありません。

しかし温度に関しては、定性的概念と定量的概念、カロリック説と熱運動説、というように捉え方自体が大きく変化し続けてきた概念と言えます。

それに伴って便利な表し方も変わってきたわけですね。

ケルヴィンは科学の発展の末に誕生した、まさに科学の子のような単位なのです。

 

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