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世界史の中のパンデミック④

育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。

 

今回もペストの流行を世界史の中で眺めてみましょう。

14世紀にヨーロッパに上陸したペスト菌は、その後なくなることはなく、ヨーロッパ各地で小規模な流行を起こし続けていました。

そんな中、ヨーロッパにとっては悲劇の世紀ともいえる17世紀が訪れます。

 

17世紀のヨーロッパは極端に気温が低い異常気象で、食糧生産力が大幅に下がってしまいました。

その他大国同士の戦争が頻発し、農民や民衆の反乱も相次ぎます。

17世紀はヨーロッパ中が荒廃した時代だったのです。

これを17世紀の危機といいます。

そんな危機的な状況の中、ヨーロッパでは数多くの疫病がはやり、ペストも大流行してしまいます。

 

特に被害が大きかったのがロンドンでした。

1665年から1666年にかけてペストが大流行し、ロンドン市民の25%が亡くなったと言われています。

そのため、国王のチャールズ2世をはじめ余裕のある人はロンドンを脱出していきました。

実はあのアイザック・ニュートンもその一人です。

ペストの影響で彼が働いていたケンブリッジ大学が閉鎖されてしまったため、彼の故郷であるリンカンシャー州ウールスソープに疎開します。

そこで研究に没頭し、「微分積分法」「万有引力の法則」「プリズム分光」という偉大な業績を三つも成し遂げてしまったのです。

そのため、これらのニュートンの研究成果は、ペスト最大の功績と呼ばれています。

 

ロンドンの悲劇はまだ終わりません。

1666年、プディング通りのパン屋で火事があり、その炎がロンドン中に広がって、なんとロンドンの建物の85%が消失してしまうという大火事がありました。

これをロンドン大火といいます。

これによってペストの流行は収まるのですが、ロンドンは焼け野原です。

この時のロンドン再建ではクリストファー・レンという建築家が活躍しました。

彼が中心になって作ったロンドン再建法により、ロンドンの建物は原則レンガ造または石造と決められ、さらに道幅も今までより広くとるように決められました。

今のロンドンの風景はこの時にできたのです。

 

ちなみにこの時レンの助手を務めていたのが、ロバート・フック。

ニュートンとフックはその後長年のライバル関係になるのですが、これはまた別の機会にお話ししましょう。

 

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