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世界史の中のパンデミック③

育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。

 

ペストの大流行が世界史に与えた影響を見ていくシリーズの3週目は、いよいよ中世の大流行です。

一般的にペストと言えばこの時の大流行を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

 

1320年から1330年頃にかけて元で発生した大流行がきっかけと言われています。

この頃の元といえばクビライ死後の混乱期にあたり、わずか13年で7人もの皇帝が即位した時代です。モンゴル支配下の中国では人口が半減したと言われていますが、その原因の一つがペストであった可能性は十分考えられます。

モンゴル帝国が支配し管理したシルクロードを通じて、ヨーロッパ・アジア間では活発に交易が行われていましたが、それもこのパンデミックによって大ダメージを受けました。

すでに衰退期に入っていた元朝ですが、ペストがとどめを刺したと言えるかもしれません。

 

そのペストが14世紀半ばになるとヨーロッパでも流行し始めます。

最初は1347年にシチリア島のメッシーナに上陸した交易船からと言われています。

その後瞬く間にヨーロッパ中に広がり1488年に一旦収束するまでの間に、信頼できる控えめなデータでも、ヨーロッパの人口の四分の一が死亡したと言われています。

 

ユスティニアヌスのペストもそうでしたが、ペストは比較的温暖な時期に流行する傾向があります。

実は11世紀からこの頃にかけてヨーロッパは世界史的な温暖期でした。

その恩恵で中世農業革命と呼ばれる技術革新が起こります。

三圃制が広まったのもこの頃で、水車や風車が使われるようにもなりました。

このように飛躍的に伸びた農業生産力はヨーロッパの人口を増大させ、また各地の王権を支えることになります。

東方植民や十字軍運動もこうした生産力向上の賜物と言えるでしょう。

 

生産力の向上に裏打ちされた封建制と、それに支えられた王権ですが、その象徴的な出来事が百年戦争でしょう。

何十年もの長期にわたって戦争を続けるのは、よほどの食糧生産力と強力な王権がないとできることではありません。

ヨーロッパにペストが上陸したのは、そんな百年戦争の真っ只中でした。

結局は失敗に終わりましたが、ちょうど休戦中だったこともあり、ペストの流行のために一旦は戦争終結の話し合いが行われたそうです。

 

さてペストの流行によって人口が激減したヨーロッパでは、労働力不足により封建制の土台が大きく揺らぐことになります。

いくら広大な領地を領主が所有していても、農民がいなければ何の意味もありません。

相対的に農民の影響力が大きくなっていったのです。

フランスではジャックリーの乱、イングランドではワット・タイラーの乱と農民の反乱が相次ぎます。

これらはペストと百年戦争によって力を付けた農民と従来の封建制との間の矛盾が原因と言えるのです。

 

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