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鎌倉時代は何年から?(複数回答可)
育志館大学受験科ウィンゲート講師の一色です。
少し旬を過ぎたネタかもしれません。
今回は鎌倉時代は何年からか問題の話です。
鎌倉時代の始まりと言えば、「イイクニ作ろう」でおなじみの1192年とされてきましたが、2000年代になった頃からほとんどの教科書が1185年と記載するようになりました。
誰でも知っているような教科書の知識がガラッと変わる出来事としても象徴的なので、当時はずいぶん話題になりました。
しかし、この事の本質的な意味を理解している人は少ないようです。
今までの知識が間違っていたとか、新しい歴史的事実が判明したとか、そういう単純な話ではありません。
そもそも鎌倉時代という時代区分は、政権の在り方の変遷に注目して分けられています。
つまり、ここで問題になっているのは、鎌倉幕府が政権を担うようになったのは何年からかということになります。
1192年説の根拠は、源頼朝が征夷大将軍に任命されたときに鎌倉幕府ができたという認識です。
歴史的事実としても間違ってはいませんし、とても分かりやすい区分法です。
ただこの認識の裏には、「幕府の始まり=政権の開始」という理解が隠れています。
実はこれは当たり前のことではなく、江戸時代後期の政権委任論をベースにした歴史認識なんです。
つまり、「朝廷から征夷大将軍に任命されることで、将軍は全国の政治を委任される」という認識です。
江戸時代ならこの認識はおおむね矛盾がないかもしれません。
しかし頼朝に時代は違います。
そもそも征夷大将軍が全国の政権を担当した例は今までにありませんし、征夷大将軍の役職に全国の政治をすると定めた法律もありません。
それどころか、征夷大将軍は律令に定めのない役職です。
したがって征夷大将軍になった瞬間から頼朝の政治が始まったというのは、当時の感覚としてはありえないことなんです。
むしろ頼朝が全国の政治をするようになったから、それにふさわしい役職として征夷大将軍が贈られたと考えるほうが自然でしょう。
それが徐々に武家政権の伝統になっていったわけです。
では頼朝はいつから全国の政治をするようになったのでしょうか。
これについては色々な見方があるのですが、今注目されているのが守護の設置です。
守護は平安時代には追捕使と呼ばれていた役職で、内戦時など緊急の際に諸国の警察権などを委任される役職です。
頼朝は平家との戦いの最中から支配下の国に守護を設置していき、平家滅亡直後の1185年末には院から正式に全国の守護の設置権を与えられました。
これにより、頼朝は全国の公的な警察権を手に入れたわけです。
1185年説の根拠はこれです。
もちろんこれは一説に過ぎません。
他にも守護の権限の変遷に注目した説、守護任免権に対する院の介入に注目した説、守護ではなく地頭の性質に注目した説、警察権ではなく裁判権に注目した説、などなど様々な説があり、どれも一定の正しさがあるのです。
歴史学における説には、歴史的事実として正しいかどうかと、歴史認識が適切かどうかの2種類の正しさがあります。
今回は主に後者の例ですね。
おそらくですが1185年説が教科書で採用されたのは、学会で一定のコンセンサスが得られたことに加えて、当時の公武二元支配を理解するうえで適切な認識だからという理由もあるように思います。
いづれにせよ歴史的事実の議論ではないので、「鎌倉時代は何年から?」という問題には意味がありません。
答えは人それぞれでいいのです。
歴史学は文献の集積によってできている学問です。
新しい文献が発見されることで分かる新事実も面白いですが、すでに見つかっている文献を整理し直して新しい歴史認識を作り上げていくのも歴史学の面白さです。
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