こんにちは。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
年始の慌ただしさも落ち着き、冬の寒さもだんだんおさまってきたような気がするのは私だけでしょうか?
さて、育志館では、小学生の生徒に【漢字検定】の、自身の学年配当級の受験を義務付けています。
中学入試に、資格の保持が大きな武器になるのはもちろんです。
ですが、それ以上に、自分の今まで頑張りが、資格という『成果』にあらわれることで、
達成感を感じることの大事さ・素晴らしさを実感してほしいのです。
その試験に向けた準備を、皆は冬期講習から進めてきました。
そこで、先日とても素晴らしい出来事が起こったので、ご紹介させていただきます!
育志館では、冬期講習初日・最終日の国語の授業で二回、本番さながらの【漢字検定模擬テスト】を行いました。
その二回目の模擬テストで州見台スクール四年生のKさんが、なんと 😆 満点の200点 😆 を取ったのです!!
そして、同じ四年生のI君、Oさんも190点台の高得点でした!
200点満点中7割、つまり140点程度が合格ラインだといわれているので、
これはもうほぼ合格確実といってもいいでしょう。
この調子で、本番でも満点を取ってほしいものです。
いよいよ明日、明後日が大学入試センター試験です。
WINGATEの塾生たちの顔にも緊迫感が見てとれます。
みんなここまで本当によく頑張ってきました。
昨日まででセンター試験の過去問、対策問題などの本番形式の問題を
英語だけを見ても
夏以降に入塾してきた生徒でも40回分以上、
夏前から在籍する生徒であれば70回分以上の問題をこなしてきました。
WINGATEは徹底的「実践主義」ですので、
本番形式の問題を解く中からその人に必要な知識・考え方・解き方を教え、
また、それを常に使えるようにまた本番形式の問題を繰り返し
解き身につけていきます。
「努力の量」がそのまま結果に素直に直結するのであれば問題ないのですが、
「努力の量」がそのまま結果に現れないことがあります。
その原因のひとつが「体調」です。
巷では、インフルエンザが流行しています。
WINGATEに通う3年生たちは全員、11月からマスクを着用しています。
塾内でも室温はもちろん湿度までこまめにチェックをして
予防につとめてきました。
もうひとつの要素は受験のときの「精神状態」です。
「頑張る」意識が強すぎると、肩に力が入り、思考力が低下します。
力み過ぎるとミスをして、今度はあせりにつながります。
「努力」は十分してきました。
「体調管理」もしてきました。
さぁゆ~っくり深呼吸をして
余分な力を抜いて、
リラ~~~ックス
大丈夫です!!
こんにちは! 育志館・加茂スクールの辻本晃平です。
以前からこのブログでも何度か語学や教育に関連する映像作品を紹介させていただいていますが、何を隠そう、僕は無類の映画好きなのです。実は、学生時代には、友人が撮る映画に出演したりしたこともあります。役者として。
この仕事を始めたとき、「教師という仕事は、役者のそれと似ている」という趣旨のことを先輩に言われたことがあります。
後で分かったことですが、この教育の業界ではどうやらそのように喩えられることが珍しくないようですね。
僕はこれまで何度も似たような喩えを聞いてきました。
その意味するところはおそらく「僕ら教師が生徒たちの前に立って話すときには、ある種の『役』を演じる必要がある」ということなのでしょう。
つまり、塾講師とて一種のサービス業にあたるわけだから、生徒の前で話をするときは素の自分などは捨てて、生徒が授業を真面目に楽しく受けられるよう、明るく元気にしっかり声を張って授業をしなさい、ということです。
時々、「模擬授業」という形で、僕ら教師も他の先生方の授業を見せていただくことがあります。
演技というアナロジーに沿っていえば、いわば彼らの「役」を見せていただくわけですね。
つい先日もそのような機会がありました。
教室にやってきたその方は、おそらく普段は絶対に出さないような大きな声を張り上げ「元気溌剌と」誰もいない机に向かって授業をしておられました。
きっと本人には、子供たちが楽しんで受けられるような「明るい授業」を展開する意図があったのでしょう。
要は大人数を相手にスピーチをするかのようなスタイルです。周囲の細かなことはあまり見ていない。
実に、このような話し方をする先生って、よくいますよね。
そしてその彼は、「どうしてそういう授業スタイルなのか」という疑問に対して「今、全国どこの塾でもこのような指導スタイルなんですよ」という趣旨のようなことをおっしゃっておりました。
他に説得力のある理由は聞けませんでした。
幸いなことにその人は育志館の方ではありませんでした。
ここで僕は、別に彼の指導スタイルを批判したいのではありません。
僕はしがない田舎の塾講師に過ぎませんから、人の授業のやり方に口を出すような勇気もありません。
ただ、かつて映画に携わっていた僕が知っている「演技」というのは、この業界でよく言われているようなことや、模擬授業をしてくれた彼が見せてくれたようなものとは全く別物なのです。
そう、僕はそのことが言いたい。
僕は単なる映画好きにすぎませんから、彼らが軽々しく「演技」という言葉を口にするときでさえ、「それでは役者に対して失礼だ」とまではさすがに言う資格はないでしょうが、それでもこの業界の人たちが使う「演技」という言葉に対する疑問というか、わだかまりのようなものは、教師を始めて以来、常に僕の中にありました。
少し演技の話をさせてください。どうかおつきあいを。
映画の世界で、観客の誰もが口を揃えて役者に「あれは良い演技だった」と言うとき、それは役者その人が演技をしていて、それでいて観客には全く演技をしているようには見えず、あたかもそのフィクションの世界の中を実際に生きているかのように錯覚させることができたときでしょう。もちろん捉え方は人それぞれにあるとして、少なくとも一般論としてそう言うことはできると思います。
不思議なことに、別段目の肥えた人でなくても、このような認識はすでに僕らの中にあるのです。
しかし、それくらい高度なレヴェルでの演技にあっては、ある意味では彼らの演技は「もはや演技ではない」ということを理解している人は、さほど多くはないのではないでしょうか。
それはどういうことかというと、つまり、役者がスクリーン上で泣いたり笑ったりするとき、すなわち彼らの「心」や「感情」が動くとき、その彼の属している世界が普段の現実の世界であれ、あるいは作られたセットの中の虚構の世界であれ(その区別は一体?)彼ら自身は「実際に」そこでの出来事を経験した、ないしは経験したに等しい、といえる、と僕はそう考えています。
石井克人監督の映画「スマグラー」の中に、「本気の嘘を真実に変えてみろ」という台詞がありましたが、端的に言えば、一流の役者が職業的に行っていることは、まさにこのようなことではないかと僕は思うのです。
だから、たとえ映画の中にあっても、またその映画がどんな世界を描いたものであっても、優れた役者がその虚構の中での出来事を現実のものだと心から信じて演技をする限り、その限定された世界の中で彼らは―いいですか―「実際に」泣き、笑い、怒り、喜び、苦しみ、悲しみ、傷つけ、傷つけられ、そして愛し、愛されたりするのです。
イ・チャンドン監督の映画「オアシス」などを観ると、そのことがよくわかります。
私が実際に会ったことのある偉大な映画監督の一人、大森立嗣さんは「芝居というのは『心』が動くことだ」と明言しておりました。
まさにその通りだと僕も思います。
だからこそ映画を観る我々も、そんな彼らの姿を見て感動するのです。
彼らの「心」や「感情」が「実際に」動いているからこそ、僕らの感情や心も動かされるのです。
あるいは逆説的な言い方をすれば、演者の心が動かなければ、観る人の心を動かすことなんてできやしないのです。
映画に出ている役者がへたくそな演技をしたとき、たちまちストーリーは説得力を失い、僕らは一瞬にしてその夢の世界から現実に引き戻されることになります。
ストーリーの中の役に完璧なまでになりきることで、人の心を動かす、感動させるというのが役者の仕事です。
そして役者であれ、あるいは教師であれ、またおそらくは世の意義ある全ての「仕事」には、その根底に多かれ少なかれ「人の心を動かす」ということがあってしかるべきなのです。他ならぬそのことに対して僕らはお金を払うのですから。
一つ演技や芝居以外の例を挙げましょう。
僕の親友に営業マンをしている人がいます。
本人から聞いただけ話なので実際のところは分かりませんが、彼の営業の成績は「すこぶる良い」ということです。
なんでも、社ではトップ?だとか。
そして「その秘訣は?」と聞くと、「売ろうとしないことだ」という答えが返ってきたのが印象的でした。
「ではどうするのだ?」、と聞くと、彼は「ただ相手と仲良くなるのだ」と言います。そうすると結果として営業が上手くいく。
どうですか?
この話は僕らの生活において、相手の心を動かすかということがいかに大事かということを示してはいると思いませんか。
ようやくとなりますが、ここから本題に入らせて下さい。
前置きが長くなりましが、教師も、役者と同じことが言えるのではないでしょうか。
どういうことか。
僕はこの業界の方たちがよく使うアナロジーを、その意味を、今一度考え直したい、他の人にも考え直してもらいたいのです。
教壇、つまりは一種の「虚構」の上に立って生徒たちの前で話すということは、ステージの上の役者、スクリーン上の役者と変わらない。
だとしたら下手な演技は見せてはいけない。
ここまではいい。
けれども「真に人の心を打つ演技というのは、単に演技をすることではない」という脈絡で言えば、プロの役者でも何でもない僕らは、そもそものはじめからそんなことはしない方がいいのではないだろうか、ということです。
素人役者や子供が、演技のことなど何も考えていないのに、スクリーンに映し出された彼らの姿は驚くほど生き生きとしている、ということは多々あります。
そんなことよりも僕らは、一体自分の授業の中でどんなことが生徒たちの心を響かせるのかということに常に神経を傾けるべきだ。
僕ら教師が真にすべきことは、子供にも見透かされるような上っ面だけの「演技」をして勉強を教えることではなく、生徒一人ひとりと正面から向き合い、深く彼らのことを思い、互いの心を通わせてコミュニケーションをとることではあるまいか。
そのために必ずしも大きな声を張り上げる必要はないはずでしょう。
先に書いた模擬授業をしてくれた彼のような指導スタイルというのはどこかの「大企業仕込み」の二番、三番煎じに過ぎないものだと僕はほとんど確信しています。
大企業は一般に利潤追求への意欲が高い。あるいは高すぎる。そうでもしないことには存続できない。
大きな塾では、一人の教師の手に余る生徒数を抱えてしまった結果、一人一人の生徒にきちんと目を配ることができなくなる。
だから強引にでも全体をとにかくまとめ上げる力が必要となる。
そこで、彼のような指導スタイルが、いわば一種の「マニュアル」として登場することになる。
繰り返しますが、僕はそのような指導スタイルそのものを批判するのではありません。
素晴らしい役者が滅多にいないのと同様、そのスタイルが成功している例は僕はほとんど見たことがありませんが、うまくいくことだってあることは確かなのでしょう。
でも育志館のような個人経営の塾においては、世間一般の「マニュアル」めいたものなどを排して、教師が生徒ときちんと密なコミュニケーションを取れるということこそが、他ならぬ僕らの「強み」であるはずなのです。
むしろ僕らはそのような強みを積極的に生かしてゆくべきだ、と僕は考えています。
それは例えばスーパーマーケットと八百屋の違いです。
今の日本のスーパーマーケットでの買い物には、金銭と品物の授受行為があるだけで、店員とのコミュニケーションはほぼ皆無です。
かつて少年少女がしたような、近所の八百屋におつかいに行き、おじさんに自分の買いたいもの直接伝えたりする、というようなことが今ではほとんど出来ない。
おまけのリンゴはもう貰えない。
そして周囲の大人や地域社会の成り立ちといったものをよく理解しないままに子供たちは成長してゆくことになる。
僕らは、かつてあった八百屋のように、都会の他の大きな塾にはそう簡単に真似できないような物事を、もっと強く打ち出してゆくべきなのです。
さもなければ、もう、生き残ることが出来ない。そういう時代です。
だから僕は、授業でも(ないしは人生においても)安易なマニュアルに頼って、試行錯誤を怠ってはいけないと考えています。
半端な「演技」やまた「キャラを被る」ことが癖づいていると、かえって邪魔になるだけです。
これは僕の経験から言うのだけれど、マニュアルを必要とするのは、その大抵がそのような努力をして生きてゆくことを放棄した、底の浅い人間でしかありません。
一人一人の生徒と向き合い、常に努力をする。そしてそのような努力の先で、一人一人の教師が時間をかけてその人「固有の」指導スタイルを身につけてゆくことで、初めて教師としてのその人の、演技でない「役」が形作られてゆくということになるのではないでしょうか。
今回は、ずいぶん長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、有り難うございます。
長文・乱文失礼しました。
いよいよ、今週の土曜日から中学入試が始まります。
5年生で「プログレスコース」として、本格的に中学受験の勉強を始めてから約2年。
この2年を「長い」と感じたか、「短い」と感じたかは、人それぞれですが、
教えている私としては、「あっ!という間」でした。
ついこの間まで、見た目も精神的にも幼かった子たちが、
今では、授業のある日もない日も、平日も休日も、毎日塾に来て勉強をし、
毎晩遅くまで残って勉強をしています。
非常にたくましく成長してきたなぁ、と思います。
今日も、6年生は授業のない日でしたが、勉強しに来ていました。
この勉強ばかりの日々、寝不足の日々、しんどい日々も、あと数日で終わります。
残された日々の中で大切なのは、体調をくずさないこと。
風邪などひかないように、あたたかくしたり、手洗い・うがいをしたりするのはもちろん、
夜遅くまで勉強している「夜型」の生活から、「朝型」に変えていくことも必要です。
今、私からできるアドバイスは、
「しっかりごはん食べて、あったかくしとくんやで~。」
とにかく、あと数日間、頑張りすぎないようにガンバレ!!
州見台スクール 岸本
今週末、いよいよセンター試験です!!
そのセンター試験本番に合わせて、
この3連休に本番演習を実施しました。
受験生は、本番間近という事もあり、真剣そのもの。
鉛筆が普段より多めに入っいる筆箱の中から、
試験中の鉛筆・消しゴム・時計の位置まで、
本番をしっかり意識して、この演習に取り組んでいました。
1点でも多く取れるよう、あと少し頑張っていこう!!
本当に遅くなりましたが、皆さん明けましておめでとうございます。
ここ最近、インフルエンザやノロウイルスが大変流行っているそうで、私の周りにもダウンしてしまった人がちらほら出てきています…。
皆さんは大丈夫でしょうか?
さて、育志館では、受験までに残された僅かな時間を有意義に活用し、土・日の休日を中心に、
塾で受験勉強を完成させてしまおう!という
【スーパースタディ・ツーエス受験勉強完成会】
が、本日から早速行われました!
その様子を本日のブログにアップしようと思ったのですが…
少しのシャッター音さえ、生徒たちの学習の邪魔になってしまいそうな真剣な空気でしたので、残念ながら、撮影は断念しました…。
申し訳ございません!
しかし、その教室の様子を見て、私はこの子たちなら必ず受験に勝てると確信しました!!
今日は、少し英語表現について書いてみます。
映画「アナと雪の女王」の冒頭部分で
アナが姉のエルサを起こして「早く起きて遊ぼう!」という場面です。
Anna: Elsa. Elsa! Wake up. Wake up. Wake up!
Elsa: Go back to sleep.
Anna: I just can’t. The sky is awake, so I’m awake.
So, we have to play.
Elsa: Go play by yourself.
Anna: Do you want to build a snowman?
この中に少しおかしな部分がありますが、気づきましたか?
エルサのセリフの Go play by yourself. です。
Go と play という動詞の原形がふたつ連続で使われています。
中学やそして高校でも「ありえない形」「あってはならない形」として教えられているものです。
もともとは Go to play あるいは Go and play という表現だったものが
to あるいは and が脱落してしまったものですが、
これは決して「アナが子どもだからちゃんとした表現を使えない」わけでも
「いわゆる Broken English (くだけた正式でない英語)」でもありません。
インターネットでアメリカやイギリスの企業のホームページなどを見ても
Come join us! と言った表現が極めて頻繁に使われています。
come や go に連続する動詞の原形は、すでに正しい表現として
英語社会で認められているのです。
そして、これらの表現は最近の大学入試問題では普通に見かけるものなのです。
言葉は日本語であれ、英語であれ常に変化し続けています。
特に英語の変化の速度は速いです。
ですから、現代社会で力強く生きていける学生を育てたい大学は、
受験生に「一般常識」とくに時事関連の常識を求める傾向が強いので、
入試問題ではよくそういった時代を反映した表現がでてきます。
selfie という単語は、辞書には出てきませんが、昨年の入試問題にはでてきました。
これはスマートフォンなどでの「自画撮りをすること、あるいはそれで撮った写真」のことです。
TwitterなどのSNSへの投稿のために「自画撮り」が一般化しているのを反映していますね。
昨年からの大ヒット商品「自撮り棒」 selfie stick などが今年の入試問題に登場するかもしれませんね。
こういった「今、使われている英語」「生きた英語」を学ぶ方法として
映画を活用するのはとっても楽しく楽チンです♪
「雪だるま作ろう!」の「作る」はどうしてbuildを使っているのか?
気になりませんか?
ぜひ、WINGATEの特別講座で楽しく楽チンに
「今、使われている英語」「生きた英語」の学習法を体験してみて下さい。
<特別講座 「アナと雪の女王」 ”Frozen” で英語を楽しく学ぶ♪>
◆日時: 第3回 1月12日(月)成人の日 1:00~3:00
第4回 2月11日(水)建国記念の日 1:00~3:00
※途中からでも全く大丈夫です。
◆場所: WINGATE高の原スクール
◆対象: 高校生 (アナファン・英語ファンの中学生も可)
◆参加費: 無料、完全予約制
※席数に限りがありますので、定員になり次第、締め切らせていただきます。
<お問い合わせ・予約申込み>
WINGATE高の原スクール
0774-51-1313
第1回と第2回を実施しましたので、その報告を。
第1回は12月29日に中学1年生から高校1年生まで5名が参加、
そして第2回は本日、高校1年生2名の参加で実施しました。
実は第2回は8名の申込みがあったのですが、
冬休みの宿題が終わっていないという人、
風邪で寝込んでいる人、
クラブ活動の練習時間が変更になってこれなくなった人
親戚の不幸で。。。
などといずれも昨日、とても残念そうに連絡がありました。
参加者全員、英語で「アナと・・・」を観たことがなかったのですが、
そこで使われている英語が非常に簡単なことに驚いていました。
実際、この映画は非常に平易な表現で構成されているので
高1生なら知らない単語は、10分の映像で2、3個ぐらいしか使われていません。
しかもそれらは学校の英語の授業では学べないけど
実際の英語では「普通に」使われる表現ばかり!!
さらに言うと最近の大学入試では、そういったことがとってもよく出題されてます。
いずれの回も全員楽しく英語を学んでくれました。
第3回、第4回はまだ参加申込みを受け付けています。
ぜひ、気軽に参加してみてください。
<特別講座 「アナと雪の女王」 ”Frozen” で英語を楽しく学ぶ♪>
◆日時: 第3回 1月12日(月)成人の日 1:00~3:00
第4回 2月11日(水)建国記念の日 1:00~3:00
※途中からでも全く大丈夫です。
◆場所: WINGATE高の原スクール
◆対象: 高校生 (アナファン・英語ファンの中学生も可)
◆参加費: 無料、完全予約制
※席数に限りがありますので、定員になり次第、締め切らせていただきます。
<お問い合わせ・予約申込み>
WINGATE高の原スクール
0774-51-1313
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
世間は正月休みですが、育志館の受験生に休みはありません!
小学生、中学生、高校生の受験生は、大晦日も1月2日、3日も特訓があります 😈
お弁当を持って、朝から晩まで最後の追い込みに精を出しています!
今日も、まだ雪が残っている寒い中を、朝から塾に来て頑張っています。
中には、受験生ではありませんが大晦日まで自習に来ていた小学生もいました。
冬期講習でしっかり実力を定着させ、8日からは通常授業に弾みをつけましょう。
残された時間は本当にあと僅か!
悔いが残らぬよう、しっかり育志館の講師陣についてきて、しっかり勉強してください! 😛
冬期講習会で忙しく、ブログの更新ができていませんでした。
遅くなりましたが、12月23日(火・祝)の「Vツアー」の報告をいたします。
「Vツアー」とは、受験生達に更なる勝利への気を注入する企画です。
まずは、伏見稲荷大社内にある「東丸(あずままろ)神社」で合格祈願。
この神社は、国学の四大人の一人「荷田春満(かだのあずままろ)」を祭るもので、
「学問向上、受験合格」の神として広く崇敬されているそうです。
一人ひとり、合格祈願をしました。
絵馬も書きました。
さすが、外国人観光客に人気№1の神社だけあって、
たくさんの外国の方々が来ていました。
もちろん、千本鳥居もくぐってきました。
「合格マグカップ」の絵付けをしました。
みんな、「合格!」「勝利!」など、それぞれの思いを書いていきました。
受験生たちがお互いに向けて、色紙に寄せ書きをしたり、
先輩たちから受け継いだ「必勝ハチマキ」を巻いたり、
先生たちからのメッセージ入りお守りに、自分の思いを書き込んだり・・・
入試まで、残りわずかとなりましたが、
この「Vツアー」によって、更なる力が湧いてきたものと思います。
さぁ、ラストスパート!最後まで頑張りぬけ!
ちなみに本日12月31日は、受験生対象の「正月特訓」でした。
(正確には、今日は「大晦日特訓」)
小6は、社会科の徹底暗記特訓。
中3は、「入試そっくり体験」と過去問分析を行いました。
入試勉強として「過去問」をするのは当たり前ですが、
「過去問を何度もやって、カンペキにできるようになった!」
というのは、いい勉強方法ではありません。
過去問は、その学校の出題傾向をつかむためのものです。
分析していく中で、「毎年、○○の問題が出てる!」「1年おきに△△の問題が!」「5年間、□□の問題が出てない!」
など、声があがってきました。
どんな問題が出そうか分かったら、あとは、それに類似した問題を問題集などで探して解いていく、ということになります。
受験生たちにとって、2014年の締めくくりの日が、非常に実りのある1日であったことと思います。
明日1月1日は、さすがに塾はお休みです。
しかし、「正月特訓」は、1月2日・3日もあります。
受験生たちにとって、かなりハードなスケジュールですが、あと数十日頑張って乗り切れば、明るい未来が待っています。
とにかく頑張ろう!
受験生たちにとってはもちろん、育志館にかかわるすべての人たちにとって、
2015年がよい1年であることを願っています。
それでは、よいお年を!