多くの途上国の子供たちは、「先進国に生まれたら、学校で勉強して、偉い人になって国の人々を幸せにできるのに」といい、日本人の大人は、「学校の勉強など特別役になど立たない」といい、子供たちは「勉強なんて役に立たないのだからやらなくてもよい」という。
このことについて話し出すと、プロとして関わっているだけに多岐にわたり奥が深く、きりがない。時と場合、個人によって異なる答えが導かれる事もある。それらを別々に考えると、全員が同じ答えを持っている必要がある部分もあるがその必要がない部分もある。
そんな中から今日は一点だけ、「何を学ぶべきか」について、しかも、「全員が身につけて得すること」について考えてみよう。
自分自身、子供の時、小学生の時、かけっこにしても、野球にしても、将棋やオセロゲームにしても、何をやっても、友達にはかなわなくて、勝てることなど決してなかった。
近所の子供たちと遊ぶとき、「ごまめ」という特別ルールがあって、いつも、ハンデを与えてもらっていた。そのおかげで、子供たちのコミュニティに楽しく参加することができ、このことを差別だとののしる子供などありえなかった。
かつての日本社会は、強者が弱者を保護し、育む機能が元々備わっていたと感じる。ただ単に、通常のルールを完璧にこなせる優秀な人間だけが高く評価され、能力が低く、完璧にこなせない人が邪魔者扱いされる社会であれば、自分はここまで生きていくことができなかったと思う。
そんな中で、たとえば、漢字を覚えることができない私に、学校の先生が、「10回書いて覚えよう」とか、「もっとゆっくりかけるようにしよう」とか、教えてくれた。そして、友達のように、一度見て覚えるというようなことは自分にはできなかったが、先生のいう通りに10回書いてみたら、1個、覚えられたのだ。友達が5~6個覚えている間に、自分は1個しか覚えられないが確実に、一歩進むことができたのだ。
そのような経験から学校は「勉強のやり方を学ぶ」ところだと小学生の時にすでに悟っていた。その悟りがなければ自分なんて本当に何の役にも立たないろくでなしだと本気で言うことができる。
将来、どんな仕事をするにしても、かならず、いついつまでに、これこれの成果を上げなければ事業そのものが打撃を受けてしまう。という事態に遭遇することは必ずあると思う。しかも、新人にとってはこれから専門分野を学び、技能をつけなければならないはずだ。
だから、「勉強のやり方を学ぶ」ことで、「勉強のやり方」を身につけていれば、そんな事態に新しい技術や、先輩からの技術の継承ができるはずだ。
これは誰にとっても役に立つ話じゃないだろうか。
様々な分野で、学び方、勉強の方法は、こつが異なってくる。だから、得意なことだけでなく、苦手なことも含めて学習の方法、こつを学んでおくことをおすすめする。
ほとんどの子供たちは、学校へは行く方がいいと思っているはずで、実際に行っていると思うので、国語や算数を学びながら、これは「勉強の仕方」を身につけているのだと考えるようにすることが大事。
社会では、期限が決められた中で成果を上げる必要が求められることが、多い。これはまさに、定期テストまでに勉強して得点するこつと同じではないか。
まもなく5月半ばから、定期テストシーズンだ。
子供たち。がんばれ!!
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