昨日の衆議院本会議で、臓器移植法改正A案が可決されました。
臓器移植に関して、現行法では「死亡した者が臓器移植の意思を生前に書面で表示していて、遺族が拒まない場合に限り、「脳死した者の身体」を「死体」に含むとしてその臓器を摘出できる」と規定されており、その年齢に関しては「15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱う」と、実質的には15歳未満の臓器提供はできないということになっています。
また、今回可決されたA案では「年齢を問わず、脳死を一律に人の死とし、本人の書面による意思表示の義務づけをやめて家族の同意で提供できる」となっています。
つまり、「15歳以上の本人の書面による意思表示がない限り、脳死を人の死とせず、臓器提供はできない」から、「年齢に関係なく、家族の同意があれば、脳死を人の死と認め、臓器提供ができる」になる、ということになります。
果たして「脳死」=「人の死」なのでしょうか?
あるニュース番組で、重い心臓病を患っていて、心臓移植が必要な小さな子供のことが取り上げられていました。
この移植には、数千万円という莫大な費用がかかる上に、子供の臓器移植が認められていない日本ではできないため、海外で手術しなければならないということでした。
そして、寄付などで何とか費用を集めて海外へ渡ったものの、その国では「自国の患者が最優先で、外国の患者の優先順位は低い」とのことで、結局手術できなかったそうです。
もし、このA案が施行されることになれば、わざわざ多額の費用をかけてまで海外で手術をする、という必要がなくなり、今までよりも多くの小さな命を救うことができるようになります。
このことを考えると、より多くの命を救うために、「脳死」=「人の死」と認めるべきだと思います。
また、数年間、脳死状態でいる子供のことも取り上げられていました。
この子は、数年前に突然倒れてから、ずっと脳死状態で、人工呼吸器などを使って生活しているそうです。
この子のお母さんは「身長も伸びているし、体重も増えている。髪の毛や爪も伸びる。それなのに、「死んでいる」って思えますか?」と言っていました。
確かに、「法律が変わったので、あなたのお子さんは死んでいることになります。」って言われても、なかなか受け入れられるものではないと思います。
やはり、「脳死」=「人の死」と認めないほうがよいのでしょうか?
難しい問題です。
私は、自分の家族がそういう状況にならないと、結論が出せないと思います。
また、その立場によって(「臓器を提供してもらう側」なのか「臓器を提供する側」なのか)その考えも変わってくるとも思います。
もし私が、衆議院議員であったら、どうしていたのでしょうか?
いろいろ悩んだあげく、卑怯なようですが、どちらに決めることもできず、棄権したのではないでしょうか。
ちなみに、今回は党議拘束がなかったために、麻生首相も鳩山代表も「反対票」を投じたそうです。
みなさんはどう思いますか。
「賛成票」を投じますか?「反対票」を投じますか?
それとも・・・
岸本