私が高校1年生のとき、サッカー部の顧問の先生からこんな話を聞きました。
「人間には、いろいろな才能の“種”が植えられている。
その種に、練習や努力という“水”や“肥料”をあげることで、“芽”が出て、やがて“花”が咲く。
なかなか“芽”が出なかったり、“花”が咲かなかったりすることもあるし、せっかく“花”が咲いても、すぐに枯れてしまうこともある。
いずれにしても、毎日しっかりと“水”をやり続けることが大切だ。」
というような話で、「サボらんと、しっかり練習せぇよ!」っていうことか、と思って聞いていると・・・
「でも、誰にでもその“種”があるわけじゃない。
“種”もないのに“水”をやっても、“芽”が出るがわけない。
だって、誰でも練習すればプロになれるんやったら、おもんないやん。
それやったら、俺も今頃プロサッカー選手になってるで(笑)」
というオチをつけてくれました。
この話を聞いた数日後、私はサッカー部を辞めました。
自分には、サッカーの“種”がないと思って。
今でも、この先生は何であんな話をしたのか?と疑問に思うことがあります。
まさか、サッカーを辞めさせようと思って言ったわけではないだろうし。
結果的に、私はこの先生の話のおかげで、今でもサッカーを楽しんでいます。
あのとき、自分には“サッカー選手になる種”“サッカーがうまくなる種”がないと思いましたが、その後“サッカーを楽しむ種”があることに気付き、大事に“水”をあげて育て、20年近く経った今でもその“花”が咲き続けています。
先生の意図は今でもわかりませんが、私は
「人それぞれ、いろんな才能の“種”を持っている。
どんな“種”なのか、いくつあるのかは分らないけど、いろんなことを経験していく上で、自分にはどんな“種”があるのかを発見し、それを育てていこう。
本当に“花”が咲くかどうかは、自分の“水”のあげ方次第。」
というようなことを言いたかったのだと、解釈しています。
塾の先生をしている今の私の役目は、生徒たちに、自分がどんな“種”を持っているかを探す手助けをしたり、“水”をあげる手伝いをしたりすることだと思います。
もし、自分には“勉強の種”がないから、と諦めてしまいそうな生徒がいたら、一緒に探しますし、一緒に“水”をあげ続けます。
もしかしたら、その種は深い所にあって、まだ“芽”が出てないだけで、しっかりと成長しているかもしれません。
そして、“芽”が出たときには、誰よりも大きな、きれいな“花”を咲かせることがあるかもしれません。
毎日しっかりと、“水”をあげ続けましょう。
“芽”が出て、大きな“花”が咲くことを願って。
岸本